2006年3月25日土曜日

肯定の思想

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「新選組!」で、堺雅人扮する山南敬助が坂本竜馬に向かってこう言うシーンがある。

思想が世の中を変えるのではありません。人と人とのつながりが世の中を変えるのです。

理想に燃える人は、とかくその理想でもって世界を変える、変えられると考える。

「終戦のローレライ」に出てくる浅倉大佐も、「尊王攘夷」に燃える過激派志士たちもそうだ。


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しかし、思想はしょせん個人の頭の中の化学反応でしかない。

それを共有することは不可能ではないが、本当に共有できるのはせいぜい「思い」の部分でしかない。

しかるに、思想というものはいやがうえにも純化を目指していく性質のものだ。

そこに亀裂が生じる契機がすでに潜んでいる。


かつての全共闘がどんどん内部分裂を繰り返していったことを見てもそれは分かる。また、あらゆる宗教が創始者の思惑から外れてゆくことを見ても。

「思い」を同じくして集まった者たちがやがて離ればなれになっていくのは、知らずしらず思想が持ち主を離れて独り歩きするからだ。そして純化を経るうちに、もはや「思い」というレベルにはとどまれなくなるからだ。


だが、時として純化に向かわず、すべてを包みこんで存在するような思想が存在する。

例えば、司馬遼太郎は西郷隆盛がそういう人物であったと言う。西郷はあらゆる思想を包含してゆく懐の深さを持った人物であったと言う。


西郷隆盛と言えば征韓論だが、実際の彼は勝海舟的な「東亞連盟主義」を抱いていたようだ。大使としてソウルや北京に赴き、日中韓の対等の同盟によってアジアを結束させ、西欧列強に対抗する、という夢を近しい者には語っていたらしい。

そうした国際的な思考から当時勃興しはじめていた自由民権運動、また儒教的な理想国家論にいたるまで、さまざまな思想を包含しながら、それらを矛盾なくまとめあげていくような包容力が彼の思想にはあったらしい。


むしろその懐の深さ故に不平士族たちに担ぎ上げられ、征韓論の中心に祭り上げられてもそれを否定せず呑みこんでいった。その結果西南戦争で散っていかざるを得なかったのは、彼の悲劇性と呼ぶほかないだろう。


また坂本竜馬という存在もある。

竜馬の思考は、決して理想の世界を夢見ることはない。

目の前の状況を細部にこだわることなくざっくり掴みとり、その中で何と何を結びつければ事態が動くのかを考えようとする、そこに彼の思考の真骨頂がある。そのようにして薩長同盟は成立した。

それはどこまでも現実的な視線だ。


純化を志向する思想にこだわるうち、知らずしらず思想に追い抜かれてしまうのではなく、どこまでも人間について行こうとする。それが西郷と竜馬、二人に共通する生き方であるように思う。


人は、思想を共有しきることはできない。しかし「思い」を共有することはできる。

むしろ、人はさまざまな「思い」を誰かと共有し、さまざまな「思い」を誰かに(誰かから)受け継ぎながら生きていると言っても過言ではないだろう。


それらをどうつなげていくかが問題なのだ。「思想」はどこまでも先鋭化していくが、「思い」はもっと漠然とした何かであって、それゆえに人間に近い。


西郷や竜馬が持ち得たような、「NO」ではなく「YES」に立脚する思考、何かを細部において拒否するよりもまず肯定し許容する思考、それを思想と呼ぶことができるならば、それこそが真に世界を動かす思想たる資格を持っているのかもしれない。