2005年12月18日日曜日

結婚のかたちと文化

日経ビジネス(12月12日号)の教育特集の中で、こんな文章を見つけました(原典は、スウェーデンの中学社会科の教科書「あなた自身の社会」、新評論刊)

あなた自身の社会―スウェーデンの中学教科書あなた自身の社会―スウェーデンの中学教科書
アーネ リンドクウィスト ヤン ウェステル Arne Lindquist

新評論 1997-05
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(引用ここから)

・・・

私は、どうしてあなたたちが、子どもの人生が偶然にまかされることを受け入れられるのか理解できません。ディスコとかパーティでのたった一度の出会いが、全人生を決定してしまうのですよ。とても道理にかなっているとは思えません。スウェーデンの親には責任というものがないのですか。

(中略)恋愛や好きだという気持ちをとても重大だと考えることもよく理解できません。お互いが好きだということが、結婚後もうまくいくという保障にはなりません。好きだという気持ちは、時がたてばどこかへ行ってしまいます。

(中略)私たちの場合はまったく逆です。結婚するとき、2人はお互いをあまりよくは知りません。

(中略)重要なのは、結婚するときに愛情が強いことではなく、全生涯を通じてお互いが好きでいることです。

・・・

(引用ここまで)

文化が違うと、ここまで価値観は異なるものでしょうか。

これはスウェーデン人に向けての言葉となっていますが、広く西欧近代のすべての人々が射程圏内に入っていると考えるべきでしょう。その強い影響下にある日本も、もちろん例外ではありません。


たぶん日本にも昔そういう時代があったのでしょう。

しかし、西欧近代の価値観が圧倒的な勢いで流れ込んできたとき、日本人はそれに異議を申し立てる言葉を持たなかったのでしょう。

ここまで、西欧近代の精神を端的に批判した言葉、しかも血の通った言葉を私は知りません。


いまさらそんな時代に戻る気はさらさらありませんが、

こういう言葉を持てることはすばらしいことだと思います。