穢れと茶碗―日本人は、なぜ軍隊が嫌いか (ノン・ポシェット)
井沢 元彦
祥伝社 1999-02
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脳は間違える
「錯視」という現象があります。平行に置かれた同じ長さの二本の直線が、両端に外向きの矢と内向きの矢をつけたときで長さが違って見える、というアレです。
錯視は何故起こるのでしょうか。
「脳は見たいものしか見ない」。池谷裕二(東大薬学部助手、大脳生理学)は、糸井重里との対談集「海馬/脳は疲れない 」(朝日出版社)の中でこう言います。見たいものを見ることが可能なのは、脳が「見ている」と思っているものがしょせんは脳による「解釈」にすぎないからでしょう。脳は自分が見たいように世界を解釈しているのです。その例として、池谷裕二はこんな実験を紹介しています。
海馬―脳は疲れない (新潮文庫)
池谷 裕二 糸井 重里
新潮社 2005-06
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机の上に10円玉と100円玉をすこし離して置きます。次に10円玉と100円玉の間に下敷きを立ててみます。机の上方から十分に距離を置いて見れば、当然2つのコインが見えます。
次に、右目は右のコインを、左目は左のコインを見るように注意しながら、立てた下敷きに顔をくっつけて見ましょう。すると不思議なことに、どちらかのコインが消えてしまうはずです。
何故こんなことが起こるのでしょうか?両目から入る情報が異なるとき、脳は情報の整合性をつけようとするのです。両目とも同じコインが見えているかのように脳が解釈を修正してしまうために、片方のコインが消えたように見えるという訳です。
錯視に似た現象が日常生活の中にもよくあるようです。教育学者の広田照幸は「日本人のしつけは衰退したか」(講談社新書)の中でこんな問題を提起しています。
日本人のしつけは衰退したか (講談社現代新書 (1448))
広田 照幸
講談社 1999-04-15
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最近のいじめは陰湿化しているというもっともらしい言説があります。自分が子供の頃にも周囲にいじめはあったが、もっと軽微なものだった、という話です。
よく考えてみればわかることですが、記憶の中にある子供の頃の話は自分の周囲のローカルな情報です。一方で比較対象になっているのは、マスコミを通じて収集されふるいにかけられた極端な情報です。まるで次元の違うそれらを比較するのはナンセンスですよね。テレビの中には可愛い子がいっぱいいるのに、俺のまわりにはちっともいないと言ってグチるようなものです。
たぶん昔も今もほとんどは他愛のないいじめなのです。そしてごくまれに、マスコミネタになるような陰湿ないじめが昔も今も存在するということではないでしょうか。
広田照幸は「以前には、いじめはけんかと同様に、子供同士のつまらないもめ事にしかみられていなかった」と述べています。最近になってマスコミがことさらにいじめ問題を取りあげるようになったために、陰湿ないじめがクローズアップされるようになったのだとも言えます。
私たちは思考します。しかし、それは私たちの脳が思考しているのに他なりません。私たちは感じます。しかし、それは私たちの脳が感じているのに他なりません。
依怙地な人は、誰かに身体のことを心配されるといらだってこう言います。
「自分の身体のことは自分がいちばんわかっとるわ!」
唯脳論 (ちくま学芸文庫)
養老 孟司
筑摩書房 1998-10
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なるほどそうかもしれません。他でもない自分の身体ですから。しかし、たとえば私の背中について私の脳が知っているのは、脳の中にある身体地図の背中の部分についてだけです(「唯脳論」養老孟司、青土社)。脳は自らが全身に張り巡らせた神経ネットワークによって常に身体の状態を把握しようとします。しかしネットワークによって把握した情報が、実際の背中の状態といつでも完全に一致しているという保証はどこにもありません。
「幻肢」という現象は、その辺の事情をよく伝えてくれます。事故で足を切断した人がないはずの足のかゆみを訴えるというやつですね。これなども、脳の中に残っている足に関する地図を参照してしまうために起こる現象と考えられます。脳は脳のことを知っているにすぎないのです。
脳は支配する
にも関わらず、脳はすべてを知り尽くしているかのように振る舞います。背中ではなく、背中の地図について知っているにすぎないにも関わらず。私たちは自分が脳の作用そのものであることを忘れ、脳の解釈によってものを見ていることを忘れてしまいます。
たとえば、養老孟司によると現代の都市ではすべてが人工物であり、脳の望むとおりに配置されます。樹木や地面のような自然物さえもが人為的に位置を決定されます。
それは「統御する」ことが元々脳の機能そのものであったからでしょう。脳は世界を支配し、すべてを秩序づけるべく運命づけられているのかもしれません。
そこにないのは「身体」です。
万能の主人であるはずの脳は、しかしある日「死」というかたちでしっぺ返しを食らうでしょう。身体は有限であり、いつか滅びるわけですが、脳もまた有限な身体の一部であらざるを得ないからです。脳がつくりあげた帝国に、死だけが唯一致命的な一撃を加えることができるというわけです。
それに対抗するために脳は文化というしくみを創りだしたのでしょう。身体としての脳は滅んだとしても、文化の中で脳は生き続けられるからです。
そうして創られた文化=社会においては当然のごとく身体が抑圧され、死が排除されます。永遠に滅びることのない脳の帝国においては、身体は不要なものであり、また死はあってはならないものだからです。
死を隠ぺいするために、古来あらゆる文明は死体の処理を作法にしたがって丁重におこなってきました。文化=社会にとって死体は危険な物体=タブーであり、慎重に処理されなければならなかったのです。
死が隠ぺいされるとき、死体に関わる者たちもまた社会から抑圧されます。江戸時代の身分制度において士農工商の下に置かれた穢多は、もともと動物の皮を剥いで皮革製品をつくる職人たちでした。また非人とは、刑を受けた罪人の死体の処理などを担当するひとびとであったと言います。
死に関わる仕事を局所化し、周辺化することによって、文化=社会の中心から死と死体を排除してきたのだと言えます。
そう言えば、もうひとつ死に関わる職業があります。
軍隊のない国
憲法9条により現代の日本には軍隊が存在しないことになっています。自衛隊が軍隊にあたるかどうかは判断の分かれるところですが、実は「軍隊のない日本」は現在に限ったことではありません。その期限ははるか平安時代に遡ることができます。
平安朝の初期に桓武天皇が軍隊を廃止して以来、明治にいたるまで朝廷には正式の軍隊がありませんでした。蝦夷征伐のための征夷大将軍はいても、都を守る軍隊はいなかったのです。明治維新でも、朝廷は軍隊を持たないがゆえに倒幕を薩長の軍に頼るしかなかったわけです。
何故貴族たちは軍隊を廃止してしまったのでしょうか?財政が破綻して軍隊を維持できなくなったというのが表向きの理由です。また島国であることから強大な敵が近くにいなかったという状況もそれを後押ししたでしょう。しかし「逆説の日本史」で知られる作家の井沢元彦は、それを「穢れ」と結びつけて分析しています(「穢れと茶碗/日本人は、なぜ軍隊が嫌いか」祥伝社)。
例え家族でも同じ茶碗や箸は使わない。これは世界でもまれな日本文化の特質ですが、井沢元彦はそこに「穢れ」の思想を見ます。人が使うものは穢れているというのがその根本にある考え方です。かつて天皇が代わる度に遷都を行ってきたのもその表れと言えますし、伊勢神宮が20年毎に遷宮するのも同じです。人が使ったもの、人が関わったものはすべて穢れているのです。
その中でも最も忌み嫌われたのは、死にまつわる穢れでした。これを「死穢(しえ)」と呼びます。
軍隊とは人を殺すための道具です。軍隊は死穢にまみれているのです。これを貴族たちは嫌ったのだと言います。さらに言えば武士たちが台頭してきた時代の鎧は金属製から皮製に変わっていましたが、皮は動物を殺して作るものですから、そんな穢れたものを身につけるなど貴族たちにとってはとんでもないことだったでしょう。貴族たちは、自分が穢れた鎧を着て穢れた戦さをすることはもちろんですが、そんなことをする輩が自分たちの政府の正式な部門として置かれていることすら許せなかったのです。
ここから生まれる日本人特有の軍隊忌避の思想を、井沢元彦は現代の自衛隊問題と絡めて論じていくのですが、ここから先は政治的な話題となるので深く立ち入らないことにします。
さて、軍隊を廃止すれば確実に治安が悪化します。その様子は芥川竜之介の小説に題材をとった黒澤明の映画「羅生門」に描かれています。そこでは、平安京の正門である羅生門が見る陰もなく崩れ果て、あたりには盗賊が跋扈していたのでした。それが栄華を誇る王権の首都の正門であるとはとても信じがたい状況でした。そうした中、自衛のために農民が武装し寺社が武装し、貴族が荘園を守るために私兵を雇い、というかたちで武士が勢力を伸ばしていきました。それらが地方に割拠し、やがて軍閥化していったのが守護大名ということになるのでしょう。
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黒澤明
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言霊信仰
では軍隊を廃止した朝廷は、たとえば外敵が攻めてきたときにどういう対応をとったのでしょうか?
文永・弘安の役(元冦)では、いわゆる神風(暴風雨)のおかげもあって元軍を撃退することができた訳ですが、その勝因は当時の亀山上皇が博多の神社に「敵国降伏」の額を奉納したこととされています。
実際、貴族たちは文永・弘安の役の論功行賞を行っていません。戦いを指揮した北条時宗も九州で実際に戦った武士たちも何ひとつもらっていないのです。
何も褒美をやるのが惜しかったからではないでしょう。武士たちが九州で戦っているときに貴族たちは歌を詠み、神に祈願していた、そのことが神風を呼び、元軍を追い返したのだと彼らは本気で信じていたのです。
これを井沢元彦は「言霊信仰」と呼んでいます。すなわち歌を詠むとは言葉を操ることであり、言葉を操ることは世界を操ることだという考え方です。
それは「怨霊信仰」とも一体となっています。怨霊の名を口にすることは怨霊を呼び覚ますことであり、逆にいま何か災厄があるとするならそれは怨霊の仕業に違いないから、怨霊を鎮魂するための祈りを捧げ、歌を詠むことで災厄を退けることができる、というわけです。
口にすればそれが実現する。逆にそれを実現させないためには、口にしなければいい。
言霊信仰の世界では、脳の中でのみ世界が生起していくのです。
これは身体の軽視であり排除であるとともに、一種の錯視であり、脳による世界の解釈のひとつのかたちだと思います。
記号の帝国
フランスの記号学者ロラン・バルトは日本を「記号(表徴)の帝国」と呼びました(「表徴の帝国」宗左近訳、ちくま学芸文庫)。
表徴の帝国 (ちくま学芸文庫)
ロラン バルト Roland Barthes
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バルトが見るのは、たとえば歌舞伎の女形や石庭(枯山水)です。女形とは女であって女ではない存在です。女形は決して視覚的に女であることを追求しようとはしません。60歳の男が20歳の娘を演じたりするのが歌舞伎の女形です。女形は立ち居振る舞いにおいて、つまり意味ではなく作法=形式において女たらんとするのです。それは振りとしての女であり、記号としての女に他なりません。
同様に、庭とは本来池を掘り、水を流し、築山を配し、樹木を植えて自然の風景を再現するものですが、石庭には池も水も山も樹木もありません。水に見立てた白砂の上に山に見立てられた石が配置されているだけです。
水のない池に流れ以上の動きを、樹木のない築山に森林・渓谷の趣きを表す
流れる水の音も存在としての山ももはやそこにはなく、それらは頭の中に生起するだけです。脳による解釈として存在するだけなのです。
西欧社会に色濃い(キリスト教に基づく)一元論的世界観や人間中心的世界観の下では、存在が何かを主張しないという状態は驚嘆に値するのでしょう。西欧社会は意味の充満する社会です。屹立する塔。威容を誇る城壁。それらはみな明確な意図から出発し、それを余すところなく表現しようとします。すべての事物が意味を求め、意味が与えられます。そうした西欧思想の批判者であるバルトは、作法=形式を徹底して追求することによってその奥にある(与えられる)はずの意味を空虚化してしまう日本=記号の帝国に賛辞を送っているわけです。
その考察の果てにバルトが見いだしたのは皇居でした。
《いかにもこの都市は中心を持っている。だが、その中心は空虚である》
皇居。それは皇帝の住居でありながら、何の自己主張もしていないかのようです。塔もない、城壁もない。東京の中心を占める森からは、象徴としての存在すら、また生きた人間としての息づかいすら伝わってきません。
もちろん江戸城そのものはかつて江戸の町にそびえ立ち、権力の象徴として人々の意識の上に君臨していました。しかし天皇はどうでしょうか。歴史上天皇が権力の中心であったことはほとんどないのです。まさに天皇制とは中心を持たない空虚な権力だったのだと言えます。実在としての権力ではなく、記号としての権力、権力の「形式=作法」として天皇は存在しつづけてきたのです。
最後に
さまざまな著作を横断しながら、脳にまつわる問題をとりあげてきました。
バルトが見るように、井沢元彦が指摘するように、また養老孟司が論じるように、ある点において日本人とは特殊な民族であるようです。身体性を極度に排除し、脳の高度な次元で考え、象徴性の世界に生きる。そこでははっきりと何かが主張されることはなく、明示されることもない。むしろ主張することや明示的であることは卑しいこととされ、意味や意図を抜かれてしまった空虚な事物に代わって、希薄な記号の連なりの中に世界が生起していく・・・。
重苦しい意味の世界(=西欧)に生きるバルトはそんな日本人の文化や精神のあり方に驚嘆と賛辞の視線を注いだのですが、そこに住む私たちはとてもそんな気持ちになれません。
脳化(より新しい型の動物はより大きな脳をもつ)とは進化の必然的なプロセスだったのでしょう。そうであるかぎり、すべての人類が脳化の一途をたどっていると考えるべきなのでしょう。私たち日本人はその点において幸か不幸かトップを走っているのだと思われます。養老孟司によれば、日本は古来「唯脳論」の国だったそうです。
どこの国の学校でも日本人の生徒は「成績よく」、国内では偏差値ですべてが決まる。もともとそういう国なのである。
私たちは脳の支配にブレーキをかけることができるのでしょうか。時として錯視する脳の作用を絶対化せずに生きることは可能でしょうか。そう考える主体そのものが脳である以上、その問いは常にパラドックスをはらんでおり、その旅は行き先の見えないきわめて困難な旅となりそうです。
そう、タグンテたちの迷宮の旅のように。