2004年9月18日土曜日

パラダイム・ブック~新しい世界観 新時代のコンセプトを求めて~(C+Fコミュニケーションズ編、日本実業出版社)

パラダイム・ブックパラダイム・ブック
C+Fコミュニケーションズ

日本実業出版社 1996-06
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科学は普遍的であると言われます。しかし、実は科学もまたひとつの言説にすぎません。

私たちがよく知っている(小中学校で習う)科学は、ニュートン以来の近代科学がベースとなっています。自然はその最小単位(物理学における原子や素粒子、生物学における細胞やDNAがそれにあたります)にまで分割することができ、その最小単位の性質を分析すれば分割する前の全体の性質を知ることができる、というのが近代科学の基本的なイデオロギーです。

こうした考え方を「要素還元主義」と呼びます。「自然は機械のように部品の集合体から成り立っている」というその考え方から「機械論的世界観」と呼ぶこともできます。

しかしながら、そうした近代科学の世界観は、物理学における量子力学の発見をはじめとした20世紀における各分野での成果によって大幅に修正されつつあります。

この本ではこうした動きを「パラダイム・シフト」と捉え、物理学、生物学、心理学の3つの分野ごとに整理された知識を与えてくれます。

いくつか例をあげましょう。

位置と速度は同時に特定できない

物理学の分野で転回点となったのは、ハイゼンベルクによる不確定性原理の発見です。

不確定性原理とは、ミクロの世界においては粒子の位置と速度を同時に特定することはできない、というものです。位置と速度が特定できれば、何分後に粒子はどこにあるかが計算によってわかります。つまり、自然は機械のように正確に動いており、したがって未来は予測可能だというわけです。

すこしわき道にそれますが、実は私たちが使う言語もこれと似た構造から成り立っています。私たちは世界をとらえるときに、まず主語によって「何が」を明示します。すなわち世界の中における話題の「位置」が特定されるわけです。次に述語によって「どうした(どうなった、どうである)」を明示します。すなわち、話題の「方向性」が特定されるわけです(ちなみに日本語においては、主語の次に述語が来ない、また主語がしばしば省略されることによって、この位置と方向性の明確性があいまいにされるのが特徴です)。こうして、混沌とした世界の中で、位置と方向性を特定することによって何かを切り出してみようというのが、言語活動の方法論なのです。

こうしてみると、位置と速度によって世界を把握するという近代科学の方法論が、私たち自身の世界認識の方法論と分かちがたく結びついていたことがわかります。そしてそれゆえにこうした世界観は自明のものとして受け入れられてきたのです。

しかし不確定性原理によれば、位置を特定しようとすると速度がわからなくなり、速度を特定しようとすると位置があいまいになる。位置と速度は同時には成立しない概念であるとなると、ニュートン以来の機械論的世界観の拠って立つ根拠が消え失せてしまいます。

これによって、もはや私たちがよく知る原子の内部構造を示す図は書けなくなりました。原子核の回りを、まるで太陽系のように電子が回っているあの図です。
今では、電子とは原子核の周囲に何となくぼおっと広がる霧のようなものにすぎません。たとえば1億分の1センチメートルの領域に局所化されている電子の1秒後の存在の可能性は、何と7000キロメートルにまで広がってしまいます。アジア一帯が1個の電子の存在可能性の霧に包まれてしまうのです。

【図】上が従来の原子のイメージ(本書p.79より)

従来の原子構造の捉え方が私たちの基本的な世界認識の方法論と合致していたとすると、不確定性原理の発見は単に物理学の世界に革新をもたらすだけでなく、私たちの世界観自体を根本から揺さぶるものとなるかもしれません。「存在」とは私たちが考えていたほど自明のものでも絶対のものでもなかったということに私たちは気づきはじめているのかもしれません。

実際、近代とは混沌とした世界の中から物事を鮮やかに切り出し、その輪郭を実際以上にくっきりと見せることに価値を置く時代であったようです。「個人」も「国民国家」も「家族」も「子供」も、みな近代がつくりだした概念でした。「生命」もまた同じです。では次にその「生命」について、ふたたび「パラダイム・ブック」から見てみることにしましょう。

聖域から下ろされたDNA

20世紀における分子生物学の進展は、生命の「同一性」の根拠としてDNAをクローズアップしてきました。個体を構成する細胞が入れ替わっても、DNAが同一であるかぎりそれが同じ個体であることが認められるというわけです。

この背景には、第一にDNAがその二重らせん構造ゆえに極めて安定的な性質を持っており、遺伝情報を保存し運搬する能力に優れているということがあります。第二には、安定的なDNAの情報がRNAのはたらきを介してたんぱく質のかたちに合成される(その逆はありえない)という、いわゆるセントラル・ドグマがありました。つまり、生命はいわばDNAを設計図としてそれに忠実に複製される機械である、というわけです。

これに対し、分子生物学のさらなる進展によって明らかになったのは、セントラル・ドグマに逆らって、RNAの情報をDNAに逆コピーする逆転写酵素の存在でした。がんやエイズを引き起こすレトロウィルスはRNAを核としており、この逆転写酵素を使って自らの遺伝情報を宿主のDNAに書き込んでいることがわかっています。

さらに、こうした逆転写酵素の働きはレトロウィルスにのみ見られるのではなく、広く生物の細胞一般で普通に起こっていることがわかってきました。すなわち、DNA上を自由に移動し、塩基配列を入れ替えてしまうトランスポゾン(跳躍遺伝子)の存在です。トランスポゾンによる塩基の変更は、決して家を少し改装するというようなレベルではなく、家の柱を丸ごと一本入れ替えるほどの規模であるようです。

これらの発見によって、DNAはもはや生命の絶対的な設計図ではありえなくなりました。生命は機械のように設計図を基につくられ、決定されているのではなく、その根源のところで外部から耐えざる浸食を受けながら、むしろそのことによって環境への柔軟な適応性を確保していることが明らかになったのです。

決定不能な現実世界

以上、物質論と生命論の分野からひとつずつ例をあげることによって、パラダイムシフトの実相を紹介してきました。

もちろん、要素還元主義の考え方が近・現代文明をここまで発達させてきたのは事実ですし、そのわかりやすさによって世界に広まったのも確かなことです。また、量子力学の発見以降も日常世界では今なおニュートン力学が有効なことを見過ごすわけにはいきません。一方で、機械論的世界観から解き放たれた新しい科学の考え方には、安易な神秘主義、精神主義に陥りかねない罠がひそんでいることも認識しておく必要があります。

それでもなお、すべてが決定されてしまうニュートン的世界観に風穴を開けるニューサイエンスの視点には、どこか私たちをほっとさせる響きがあります。すべてがあいまいなまま、決定不能なまま私たちの前に放り出されているということ、そうした現実をそのままに受けとめるという知の在り方は、先に紹介したラドラムの「暗殺者」やフィリップ.K.ディックの世界と通底しながら、新たな知のパラダイムの構築へと私たちを誘います。

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