2006年4月18日火曜日

満員電車を満たす旋律

車窓の外を流れていく風景を眺めながら、音楽を聴いている。


イヤホンから旋律が流れはじめると、人でいっぱいの車内に風が吹きはじめる。

耐えられないほどだった喉の渇きが急速に消えていく。


音楽がぼくたちを捉えるのは、そこに「生」のエッセンスが詰め込まれているからかもしれない。

音楽がなければ、車窓を過ぎる風景ももっとゆっくりとして、まるで静止しているように見えるかもしれない。


世界についての2枚のスナップショットを撮った時に見つかるはずの「相違」、つまり世界を動かしている「動因」にぼくたちはなかなか気づかない。

それは世界の動きがあまりにゆっくりとしているからに違いない。日常生活の中では、世界は停滞しているかのように見えて、それだけ構造は堅固に見える。

動乱の時代にあってさえ、日常とは平和なものだ。いつまでも同じ今日が続いていくと人は思いこむ。


音楽には、その「動因」が凝縮して詰め込まれている。

5分足らずの間に繰り広げられる風景の中では、風が吹き、水が流れ、陽が踊り、世界が動き構造が揺れている。

ぼくたちが映画を好むのも、きっと同じ理由からだろう。


それが「生」というものの凝縮された姿なのだ。


たぶん、反戦集会で歌われるメッセージソングにはそれなりの意味がある。

音楽そのものは世界を変えはしないが、世界は確かに動いているのだということを音楽は思い出させてくれる。


ぼくは反戦家でも好戦家でもないが、そういう気持ちはよく分かる。