2006年10月1日日曜日

卒業式などにおける国歌国旗問題

卒業式などにおける国歌斉唱・国旗掲揚の問題にはもともと争点が2つある。

ひとつは、判決文にある以下のくだり。

・・・原告ら教職員は,「教育をつかさどる者」として,生徒に対して,一般的に言って,国旗掲揚,国歌斉唱に関する指導を行う義務を負うものと解されるから,入学式,卒業式等の式典が円滑に進行するよう努カすべきであり,国旗掲揚,国歌斉唱を積極的に妨害するような行為に及ぶこと,生徒らに対して国旗に向かって起立し,国歌を斉唱することの拒否を殊更に煽るような行為に及ぶことなどは,上記義務に照らして許されないものといわなければならない。・・・

今回の判決を勝訴と考えている人も、誰一人この点を問題にしていないことから、これに同意しているものと考えることができる。

この点において、今回の判決はむしろ都側の勝訴であるとも言える。

少なくとも、教職員が卒業式などの場において国旗・国歌への反対行動をとってはいけない、ということが合意されたのだから。


一方、判決文にはこんなくだりもある。

・・・原告ら教職員が入学式,卒業式等の式典において国歌斉唱の際に国旗に向かって起立すること,国歌を斉唱することを拒否したとしても,格別,式典の進行や国歌斉唱を妨害することはないうえ,生徒らに対して国歌斉唱の拒否を殊更煽るおそれがあるとまではいえず,学習指導要領の国旗・国歌条項の趣旨である入学式,卒業式等の式典における国旗・国歌に対する正しい認識を持たせ,これを尊重する態度を育てるとの教育目標を阻害するおそれもないといえる。・・・

こちらが今回の判決の中心となっている訳だが、教師がある意図をもって卒業式などで「歌わない」「起立しない」ということが、ほんとうに「生徒らに対して国歌斉唱の拒否を殊更煽るおそれがあるとまではいえ」ないのかどうか。

この点が今後の上級審での争点になってくるだろう。


ここはたしかに判断の難しい点だ。

このことは、普段の授業において当の教師がどういう発言・指導を行っているのかという点と切り離して考えることはできないはずだから。


しかしこう考えると(今回の原告らがどういう経緯から「歌わない」「起立しない」という行為に至ったのかを踏まえるならば)、彼らはむしろ今後の裁判によって、自分の首を絞めてしまうことになるのかもしれない。

つまり、授業の中で自分達がどういう発言・指導を行っているかを、今後学校・教委側からチェックされるかもしれないという可能性、またその正当性を導き出してしまうことになるかもしれないのだから。