2006年8月22日火曜日

民主主義について

民主主義とは何なのか (文春新書)民主主義とは何なのか (文春新書)
長谷川 三千子

文藝春秋 2001-09
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長谷川三千子「民主主義とは何なのか」(文春新書)を読んだ。

先頃、民主主義とは到達点でなくプロセスだ、という意味のことを書いたが、そんなのんびりしたことを言ってる場合ではなかったようだ(笑)。


何かというと「人権」を持ち出すサヨクに限らず、公共よりも自分の自由と権利を優先する人は多いが、そういう輩は民主主義を誤解している訳ではなく、実は民主主義の可能性をもっとも体現している人たちなのだということを、この本は教えてくれる。

「民主」主義の不思議

実は、昔から不思議だったことがある。何故「民主」主義とぼくたちは呼ぶのか。貴族もいなければ階級制度もないこの国において、何故わざわざ「民主」を名乗る必要があるのか。

「国民」主権という単語もまた同じだ。断るまでもなくみんな国民なのに、何故「国民」主権という言い方をするのだろうか。

まるで人間社会において「人間主権」と言っているような奇妙さがそこにはあるのだ。


その謎は、この本によって解き明かされる。

すなわち民主主義とは、王制や特権階級に対する「闘争」の別名であり、あくまでもそれらとの対比の上に成り立つ相対的な概念であったのだと。

「民主」とは、それらの階級との対立を表明し、象徴する表現であったのだと。


そもそも民主主義に何か明確なコアがあるのかというと、そうではない。

民主主義と聞くと、すぐさま「議会制」だとか「多数決」という概念が想起されるが、それらはいずれも民主主義の占有物ではない。

多数決とはあくまでも議会制の方法論であるし、議会制は貴族政治においても成立する以上、そもそも民主主義と同列ではない。

民主主義のコアには、結局のところ「民衆による権力との対決」という理念があるだけなのだ(この意味において、共産主義は民主主義を超えた民主主義の正当な嫡子と言える)。


とするなら、対立する階級がいなくなり自らが主権者の座に座ったとき、「民主」主義はいかにして可能であり続けられるのか?

これこそが次に浮かび上がってくる疑問だ。

民主主義に内在する「敵」

しかし、そんな心配は無用だとすぐにわかる。

民主主義は、原理的にその内部に敵を内在させているからだ。


たしかに、現代の世の中では、18世紀後半にあったような典型的な「革命」というものは見かけなくなっている。しかしそのかわりに、たえず薄められたかたちで、この「不和と敵対のイデオロギー」は民主主義の社会を支配しつづけている。それは、中小国における絶え間ない、闘争的な政権交代、というかたちを取ることもあれば、先進諸国におけるフェミニスト運動やその他さまざまの「反体制運動」といったかたちを取ることもある。

およそどんなかたちを取るにしても、そこには同じ「不和と敵対のイデオロギー」・・・ 一つの共同体の内側に、常に上下の対立を見出し、上に立つものを倒さねばならないとするイデオロギー・・・が存在しつづけているのである。

すなわち、どんな制度の下でも、社会があるところ必ず「権力」が生まれる(むしろ権力が生まれなければ、社会が成立することはない)。そこに、階級敵を失った民主主義の新たな対立者が見いだされる。


第一の、そして最もわかりやすい敵は「政府」だ。

政府を「権力者」と見立て、自分たちを「庶民」の名の下にそれと対置させることによって、民主主義はその旗を掲げつづけることができる。

ここで問題なのは、貴族政や王政と違って、敵対視される政府を主導するのが彼ら自身によって選ばれた政治家であることだ。

つまり彼らは、彼ら自身が選び出す為政者を永遠に血祭りに上げつづけることになる。古代アテネの民主政がまさにそうだったように。

僭主恐怖症

古代アテネ市民は「僭主恐怖症」に陥っていた、と長谷川三千子は指摘する。いやアテネのみならず、ギリシャの多くのポリスがそうだったという。

彼らは僭主の台頭を異常なまでに恐れ、僭主(になりそうな有力者)を追い落とすために、悪名高い陶片追放制(これは実際にはそれほど効力を発揮しなかったらしいが)や弾劾裁判を駆使した。


実際は、ペイシストラトスをはじめ、僭主には善政を行った人物も多い。また、僭主と言っても武力で権力を握った者ばかりではなく、選挙で選ばれた者も多かったという。

そうであっても、いやそうであるからこそ、僭主は追い落とされなければならなかったのだと、長谷川三千子は言う。

ずっと後にヒトラーが証明したように、民意を一身に集めるときにこそ権力は暴走のポテンシャルを持つのであるからだ。

民主主義は、自ら選んだ為政者を、自らが選んだまさにその故にこそ自らの手で葬り去らねばならない。これこそが、民主主義が自らの内部に抱え込んだ根本的な欠陥なのだと言える。


僭主ではないが(僭主と呼んだ人もいる)、アテネの最後の光となったペリクレスも、ペロポネソス戦争のさなか疫病が流行する中で、弾劾裁判にかけられ失意のうちに死んでいる。

そしてアテネは滅亡への途をたどり、二度と歴史の舞台に登場してくることはなかった。

この様子を見ていたアリストテレスは、だから民主政を「邪道にそれた国制」に分類したのだ。民主政とは、「人民のための政治」を目指すのではなく、ただ人々が私利私欲にかられて行う政治形態である、と。

マスコミと民主主義

現代におけるマスコミとは、そうした民主主義の原理(病理)を最も体現した存在であり、その増幅装置というべきかもしれない。

彼らは政治家を目の敵にする。すべからく政治家に「権力者」の烙印を捺し、自らを民衆の代弁者、民主主義の擁護者と位置づける。

また、彼らは次々とヒーローを祭り上げては、その絶頂において、ヒーローを地に叩きつける。まるでどんな権威・名声も、一定期間以上はその連続を認めてはならないとでもいうように。

それは蕩尽のための生産・蓄積であり消費であるという点において、高度資本主義経済の一機能であると言えるが、同時に、古代アテネにおいて僭主の出現を恐れる人々の姿にも重なっている。

彼らはあらゆるところに上下構造を探し出し、それを攻撃する。それが自分たちの作った構造であるかどうかには関係なく。

なるほどマスコミとは、平等のための容赦のない監視装置であるとは言えるだろう。


ところで、マスコミは民衆の声の代弁者なのか?

残念ながらそうなのだ。民衆がそう望むから彼らは書くのであり、そうすることによって発行部数や視聴率が伸びるから彼らは書くのである。


それにしても、マスコミが代弁し増幅するところの「国民の声」というやつはかなり危うい。

第一次大戦においてバルカン半島の戦火をヨーロッパ中に拡大させたのは、各国の為政者ではなく国民の声だった。国民の声が政府を動かし、戦争へと走らせたのである。

また、戦後ドイツに莫大な借金を負わせて第二次大戦の遠因を作ったのも、やはり戦勝国の国民の声だった。

さらにワイマール体制下のドイツにおいて、ヒットラーへの熱狂的な支持というかたちでより直接的に第二次大戦への道を突き進ませたのも、ドイツ国民の声だった。

日本においても同じだ。太平洋戦争への突入をマスコミがこぞって煽ったことはよく知られているが、これも結局はそれによって新聞の発行部数が伸びること、すなわち国民がそれを喜ぶことを見越しての行為だったからだ。


それらすべての事実を無視して、両世界大戦は「民主主義の勝利」という言葉で総括されてしまった。


民主主義は本当に勝ったのか?そうではないだろう。実態は民主主義と民主主義との戦いだったのであり民主主義の原理と民主主義の原理が衝突したのにすぎない。そしてその片方がたまたま勝利したに過ぎない。

民主主義を克服する

長谷川三千子は、「民主主義を克服しなければならない」という。そのためには理性の復権が必要だ、という。

現代の民主主義理論は、広く「国家」のうちに錯乱を持ち込んだだけでなく、家族の内側にまで入り込んで、そこに「権力者に対する闘争」のドグマを植えつけようとしている。フェミニスト達は、どんな哺乳動物にも何らかの形で見られる雌雄の分業が人間にも存在しているのを見て、それを「不平等」であると糾弾し、攻撃している。そういったことすべてを、「理性」の目は、ただ端的な錯誤と見抜くことができる。

民主主義を超える政治体制があるのかどうかはわからない。

しかし少なくとも、民主主義が最良の政治体制と言えるものでないことだけは確かだ。

ぼくたちがよりよい政治を目指すには、もはや「民主主義」というイデオロギーを掲げることでは十分ではない。いやむしろ、「民主主義」というイデオロギーを掲げることがよりよい政治への努力を台無しにしてしまう可能性すら、ぼくたちは考えておく必要がある。


民主主義とは人間がはじめて選んだ政治体制であった。

それはぼくたちが選びとった政治体制であるには違いないが、それは同時にパンドラの箱を開く行為でもあった。

民主主義というパンドラの箱、民主主義という暴れ馬を乗りこなすには、単なる「批判精神」というようなものでは不十分だろう。上で見て来たように、民主主義とはそもそも根本に矛盾を抱え込んだ概念なのである。ぼくたちは、その特質をよく知った上でそれと付き合って行かなければならない。