「Web2.0」という概念が、ウェブの世界を席巻している。
昨年あたりからだろうか。GoogleやアマゾンがAPIを公開しはじめ、誰もがその巨大なデータベースを自分のプログラムの一部に取り込んで使いこなせる土壌ができて、ウェブがまた急速に面白くなってきた。
もともと参加性というキーワードとともに登場したウェブだが、ここ10年ほどの間にYahoo!やアマゾンが巨大化し、ウェブはいつのまにか巨大資本のものになっていたような気がする。
しかし、いままたウェブはぼくたちの手元にある。
アイデアしだいで、自在に広がっていく可能性がそこにある。
Web2.0に向かい合う気分は、ちょうどドゥルーズとガタリをはじめとした現代思想家の著作を読むときに似ている。
本を開いたぼくはほんの数ページ読んだところで、もう本を閉じてしまう。
本がつまらないのではない。
そこに書き込まれた言葉が、ぼくを外の世界へと誘うのだ。
彼らの思想が、本の中で閉じず、現実の世界で考え行動するための思想だからだ。
同じように、Web2.0について書かれた文章はぼくをウェブの世界へと誘う。
そこで何を語り、どうつながるのか、どんなサービスを組み立て、提案するのか、そのことを問いかけてくる。
ウェブは参加するメディアだ。つながりあうメディアだ。
そこには、中沢新一の言う「庭」がある。私有の概念から解き放たれた「路地庭」の自由がある。誰もが鑑賞しあうだけでなく、つながりあっている。
まだその胎動ははじまったばかりだ。まだそこで提供されているサービスは、おもちゃのようなものに過ぎない。
だが、だからこそそこには可能性が広がっている。資本とは無関係に、アイデアだけで世界の創造に立ち会うことができる。